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年功序列が保たれている日本社会
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SINCE 2009/10/03

日本企業、問題解決の決め手はここにある!
日本は年功序列型社会である。
明治維新によって『士農工商』という階級制度がなくなって以来、どの社会においても年功序列型秩序がつくられてきた。
家庭でも、父親を家長として、あとは年の上の方から順番に並んでいくという秩序ができ上がっている。学校においてもそうである。
 社会に出たら、若干、実力の世界というものもあるが、基本的には年功序列型の秩序が保たれるようになっている。

実力世界の代表はスポーツの世界だろう。野球にしてもサッカー、大相撲にしても、実力のある人が給料も上がって行くシステムだ。
政治の世界では、当選回数というのがもっとも大事にされる。
年齢の上下よりも当選回数によって役職が決まって行く。連立与党という政治形態によって多少の変化はでてきたが、本質的には年功序列型の秩序がまだ生きている。
経済界の主流も、厳然として年功序列型秩序である。たしかに労働力の移動が活発になって、従来の年功序列型秩序は崩れつつある。

が、それでもやはり、たいていの企業は、1日でも早く入社した人の方が、同じ実力なら上になるシステムになっていることは否定できない。
 一部の企業では、職種によって年俸制という実力主義になっているところがある。
またフリーターというあちこちに企業に首をつっこんで仕事をする人たちもいる。
 だが、不況という声を聞くと、なぜか年功序列が大事にされる傾向があるのだ。
もちろん、経済界にも抜擢ということがあって、一部の人たちが年齢にかかわりなく役員になったり、社長になったりすることはある。
 しかし、この場合も、その企業そのものは依然として年功序列型の秩序を大事にしていることに変わりはない。
 若くして抜擢されて東京電力の社長になった平岩外四氏は、民間企業における抜擢人事について、こう語っている。
「東京電力では、役員にするまでは年功序列でいきます。役員になったら必要に応じてドンドン抜擢することがありますが、取締役になるまでは年功序列人事なのです。
というのは、四万人も従業員がいたら、だれがどんな仕事をしているかよくわかりません。
 しかし取締役になったら、その人の活躍ぶりは全従業員に見えるのです。
それで抜擢しても、社内に不平不満はありません。

ところが、一事業部門、あるいは支店で業績をあげた人だと、その人の活躍ぶりは、他の事業部門、他の支店で働いている人たちにはわからないのです。
それで、なんであの人が取締役になったのかと、社内に疑問がでたりするのです。
そう言う理由で、役員までは異例の抜擢というのは、やらないのです。」
おそらく、これが日本の経営者の代表的な考え方であろう。
企業の秩序が年功序列型になっているばかりか、給与体系も年功序列になっている。
 もっとも典型的なものが官僚社会である。中央官庁では、入省年次を逆転して事務次官になることもなければ、局長になることもない。
しかも事務次官は官僚機構のトップにいる人で、この上には政治家の大臣がいるものの、官僚機構そのものは事務次官の指揮命令に服するようなシステムになっている。

年功序列型社会で重要なのは、肩書きである。
係長、課長、次長、部長といった具合に『出世』の階段をのぼるから、係長より課長、課長より部長がエライといった具合に世間的には評価される。
ヒラの取締役より、常務、専務、副社長といった肩書の順にエライということになる。
 会社の地位だけでなく、給料も退職金も交際費も、世間一般でいう社会的地位もあがるのである。
このすべての基礎になっているのが年功序列というものだ。


成功に必要な意志と勇気
年功序列が保たれている日本社会

(C)アメリカが見習った日本的企業行動

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